「なぜ学校に行けないの?」
「なぜ働かないの?」
不登校やひきこもりについて、事情を知ろうとして口にする言葉です。責めたいわけではなく、理解したい、力になりたいという気持ちから尋ねることもあるでしょう。
それでも、聞かれる側にとっては苦しい質問になることがあります。
私自身、「なぜ」と問いかけられたときに苦しかったのは、責められること、説明を強いられること、そして、相手に勝手に理解されることでした。
この三つは、同じ会話の中で重なることもあります。答えなければ責められ、答えるためには苦しさを言葉にしなければならず、ようやく話せても、相手の解釈で片づけられてしまう。
それでは、何を話せばよいのでしょうか。
『ひきポス』の喜久井伸哉さんによる記事「当事者に『なぜ』と聞く暴力性 傷ついた子どもに質問をするためのプロトコル」を読み、この問いかけについて、私自身の考えを書いてみたいと思いました。
「理由を聞く」が「理由を審査する」に変わる
例えば、学校を休んでいる子どもが、理由を尋ねられて「教室にいるのがつらい」と答えたとします。
そこで「それくらい、みんな我慢している」と返されたら、その子にとって、理由を話すことにはどんな意味があったでしょうか。
聞いた側は、励ましたつもりかもしれません。しかし、話した側には「その理由では休むことを認められない」と響くことがあります。
質問への答えに合格と不合格があるなら、それは事情を聞く時間というより、休んでよいかを審査する時間です。
「なぜ学校に行けないの?」という言葉には、場合によっては「私が納得できる理由を説明して」という要求が入り込みます。学校へ行くことを当然とする側が、行けない側の説明を評価する。その関係の中では、穏やかな口調であっても、質問が圧力になると私は考えます。
苦しんでいる人に、説明する仕事まで課す
理由を説明するには、自分の状態を整理し、それに合う言葉を見つけ、相手に伝わる形にまとめる必要があります。
これは、簡単な仕事ではありません。
きっかけを一つに絞れないこともあるでしょう。何がつらいのか、自分でもまだわからないかもしれません。言葉にできても、それを人に話すことには別の難しさがあります。
そこで「理由がわからなければ、何もできない」と言われると、助けを受けるための条件として、説明を求められることになります。
私は、うまく説明できることを、苦しさを受け止めてもらうための資格にしてほしくありません。
理由を整理することが役に立つ場面はあると思います。ただ、それを今すぐ本人に求めてよいかは、別に考える必要があります。
「わからない」「まだ話せない」という答えで、いったん会話を終えられること。その余地があるだけでも、質問の意味は変わります。
「わかった」と言われて、話せなくなることもある
一方で、答えたからこそ苦しくなる場合もあります。
例えば、友人との出来事を少し話しただけで、「つまり、人間関係が原因なんだね」と話がまとまってしまう。家でゲームをしていることから、「現実から逃げたいんだね」と心の中まで説明されてしまう。
こうした理解は、聞き手にとっては、状況を整理するための仮の見立てかもしれません。しかし、本人が訂正しにくい関係では、その見立てが本人についての結論になってしまいます。
「そうではない」と伝えるにも、また説明が必要です。「一部分はそうだけれど、それだけではない」と伝えるには、さらに言葉を尽くさなければなりません。
自分の話をしたはずなのに、自分についての説明を取り戻すために話し続ける。私は、ここにも問いかけの苦しさがあると思います。
理解することには、理解を修正する用意も必要です。「今の受け取り方は違う」と言われたときに、その言葉を受け入れられるか。聞き手には、その姿勢が問われます。
答えないと扱いが変わるなら、その質問は自由ではない
私が「なぜ」という問いかけを暴力的だと考えるのは、相手が答えるかどうかを選べなくなるときです。
黙っていると怒られる。答えが納得されるまで聞かれる。話した内容を、本人の知らないところで「この子の問題」として共有される。
こうした状況では、質問は、本人の言葉や沈黙を聞き手の都合に従わせる働きを持ちます。
特に、聞く側が親や先生など、生活や評価に影響する立場にある場合、「話したくなければ話さなくていい」と言うだけでは十分でないこともあるでしょう。断ったあとにも、実際にその選択が尊重される必要があります。
本人が望んで自分の経験を振り返ることや、信頼できる相手と理由を考えることには、意味があると思います。
だからこそ、聞く側が確かめるべきなのは、「自分は優しく尋ねているか」だけではありません。「相手は、この質問を断れるか」も大切です。
理由を聞く前に、伝えられること
「なぜ学校に行けないの?」と聞く前に、例えば、こんな言葉を伝えることもできます。
「今すぐ説明しなくても大丈夫」
「話したくなったら聞くよ」
「私の受け取り方が違っていたら、違うと言ってほしい」
これを言えば必ずうまくいく、という話ではありません。言葉にした約束を、その後のやり取りでも守ることが大切です。
理由を話さなくても、安心して過ごせる。説明がまとまらなくても、困っていることについて一緒に考えられる。聞き手の理解を訂正しても、関係が悪くならない。
私は、そういう関係の中でこそ、話せることが増えていくのだと思います。
理由がわからないままでも、「今日は学校の話を控えてほしい」という希望を受け止めたり、「付き添いがあれば外に出られそう」という相談に応じたりすることはできます。
納得できる説明が出てくるまで待つより、今、本人が伝えている希望に応じることから始められるのではないでしょうか。
学校へ行けない理由を、うまく説明できない。
家から出られない理由を、自分でも整理できない。
そのことを、苦しさを受け止めない理由にしてほしくない。私が「なぜ」という問いかけについて伝えたいのは、そのことです。
参考にした記事:喜久井伸哉「当事者に『なぜ』と聞く暴力性 傷ついた子どもに質問をするためのプロトコル」『ひきポス』、2026年9月3日。